ライブ・ツアー

LOVE LIVE 2019 Twilight Chandelier 前半の感想。

駅蕎麦を食べようと券売機の列に並んでいたら、操作に慣れていない初老の夫婦がメニューを選んでいた。
奥さんが券売機を操作しているのに、旦那さんは少し離れた場所に立っていて、
「何にするの?」「何でもいいよ」「でも暖かいのよね?」「さっきそう言っただろ」
といった具合で、完全に奥さん任せで、任せられた奥さんは列が出来てしまった事に焦りながら何とか購入していた。

自分もかき揚げそばの券を買って店の中に入ってみると、今度は座席に困っていたらしくやっぱりその旦那さんは隅っこに突っ立ってどうにか2席確保しようと頑張っている奥さんを見ているだけで、終始傍観者的な態度。

その二人を見かねた同年代ぐらいの男性が「大丈夫だよ。安心しなよ。」と旦那さんの方に話して席を譲ったその言葉で、その亭主関白というか主体性の無い奴と思っていた自分の見方が180度変わりました。
自信を取り戻したらしく、今度は奥さんの為にセルフサービスの水まで、やっぱり何処に水があるのか分からないけども、
店員さんに自分で聞いて無事に二人で蕎麦を食べ始めた。

自分のブログを見返すとTPは最後のベビブレが良いだのFiLツアーが最高だのと懐古主義の老人のような感想で、普通に考えてもうあんたの推してた声優アイドルと違うんじゃないの?としか思えない感想ばかり書いている。
今回のツアーも習慣で参加しているのか、推したくて参加しているのか、正直よくわからないままライブ当日を迎えてしまった。

私が今ツアーで最初に参加した広島公演は案の定、自分の中で楽しみきれなかった気がする。
自分のパッと思いつく好きな曲を書くと、恋は波のように、mon cheri、Cutie Cutie、Cursed Lily、永遠のひとつで、今回の広島公演でのセトリとを見比べると曲の雰囲気と言うかノリが異なる気がする。

セトリを見直すと、私が普段聴いているような(歌詞が)洋楽的で自分と相手だけしか見ていないと言うか、
要は清竜人さんが提供している曲に象徴的に表れる、2人の周囲に見えてるものは舞台の上で薄っすら光っているキャンドルの明かりが届く範囲程度でしかなくて、主題(恋愛)に思いっきり集中している様な歌詞の曲がセトリの中に印象的に配置されているように感じました。
舞台の照明もいつもよりも意味を汲みとってしまいやすい、つまりかなり意図的に構成された動きが多くて、
武道館よりも狭いステージにも関わらずLantana in the Moonlightに近い感動を覚えました。

そういえば2017年のCCからここまで、ゆかりさんはそもそも新しいことをやってみたいんだった。
何度か、ファンの人が付いて来られなくなるかもしれないけれど。と話していたけれどまさか自分がその人になるとは思っていなくて、何を根拠にゆかりの為なら何処へでもだよと、考えながら聴くyouは自分がゆかりさんにじゃあね。と言われている気分でした。

そのせいか大阪や京都から広島に参加していた人がtwitterに投稿しているテンションについていけず、
新鮮さはあるんだけど何かさっぱりしていたライブだったというのが参加後の感想です。

youの歌詞の意味が変わったよね。

と言う友人のツイートを見て、あ。やっぱそうだよね。とある種閃いて彼の言っている事とは違う解釈かもしれないけれど福岡公演で見方を変えたら(高テンションでコールを突っ込む感じ。)、やっとツアー連戦者と同じテンションで会話出来るようになり、何しろ100回公演の福岡で最高でない筈がなく気がついたらライブが終わってたという初めての経験をした。
(一応、毎回斜に構えて友人にはfbdはコールしないと言っていますが、あのダブアンのfbdでコールしない奴がブログなんか書くわけないじゃんね。)

個人的にゆかりさんのライブが居心地よかったのは、ミドルテンポ(と認識されている)曲にちょっとコールするのが粋で、べったべったにコールするのはベビブレとかもうちょい遅い曲にするのが高まるのだよという前提と言うか、それが田村ゆかりのファンの雰囲気じゃない?とみんながそう考えているからという明言されていない雰囲気によるものでした。

自分にとって3ヶ所目の熊本公演に至っては、これまで全くやる気になれなかったアッパーな曲にベタベタコールするのが主流なのが分かって、清竜人曲はもっと自由にやっていいのだなとやっとワクワク感が出てきたので、ツアー後半がどう変わっていくのか今から楽しみです。

自分は多数派なのかと思ったら、少数派になっていた可能性に戸惑いはありますが、他の人はどーだろと思ってTLを見てみるとライブのペンライトに始まりコールが煩いだの臭いだの、それ以前の話が沢山あって辟易としたけども実はこれも団結していたと思ったらそーでは無かった人々の反動なんだろうか?と思います。

周りに合わせず自由に楽しむと言うのは一方で他人の自由も寛容に受け入れる必要があります。
バラードコーナーで前の人が立ってても座ってても自由にしたらいいじゃん。
新しく聞こえるようになったyouでコールしてもいいじゃん。
例を出すなら俺は絶対に合わないと思っているWonder taleのゆかりコールを周りでどれだけ騒がれても良いんだけれど、
反対に、そこでコールしている人に全体と解釈違いだからという理由で違うポイントでコールして怒られるなんて理不尽だと思う。

新生ゆかりん以前(~2017)はそこのところどうだったのか?と言うと実は今より自由にやっていた感じがあったように見えます。
どうだったのか上手く文章に出来ないのですが、そのみんな適当だった感じを#はじめてのゆかりん タグを使ってTLであっさりと再現した人には一本取られたというか尊敬の念を抱いた。
(コールに絞って考えると我々がいつも参照元にしている”コール本界隈”の人たちのスタンスが一貫して単なるコールの提案でしかなく強制するつもりが無い。というコールに熱い人たちの主張が一番緩い点も面白い。)

自由の一番根本的な解決方法は空間を広くすることで、ゆかりっくフェスがオタ芸込みで何でもありだったのにギスギス感が無かったのはその為で正に夢のようなフェスでした。
今回のツアーでは星座が要素の一つになっているのも、元来、星座は領域のみ決められていてその中にある星をどう選んでどう結ぼうが自由であることを考えると、1番で入れたコールを2番で入れる必要もなく、誰も入れていない場所でコールするのも含めて何か各自固有の楽しみ方が許されているような気がします。
それが故にやる側は自由だけれども、(考え/提案を)受け入れる側は寛容が求められる状況が出現したように見えます。
(狭い座席で人にぶつかりながらヲタ芸するのも自由なんですか?と考えた人は多分、古典力学の世界に住んでいて、量子力学を知らない為に何でCPUの動作クロックを10GHzに出来ないんだと喚いて周りから苦笑されている日本企業の管理職であると思われるので無視する。)

ライブというその場限りの共同体で、なるべく参加者全員が自由に楽しめるラインを探るのは結局のところ同調圧力ではなく会話で、
こいつ何で座らねぇんだと思っても、ライブ終わりに話しかけてみると案外ゆかりさんに見とれていたせいだったりして他人の作ったマナーガイドラインで判断した自分の見方がひっくりかえる可能性があります。

閑話休題。

ツアーで複数箇所参加する人にとって、ゆかりさんのツアーの楽しさは前半に楽しみ方を探って作ってみて、後半で前半に築いたものを楽しみ倒す部分にあると思います。
ゆかりはゆかりのハミングやワイパー右持ちや細部に至るとアンコールのタイミングであったり、熊本公演はどーしても参加したい人にとってはチケットが取りやすいうえに客席が少ない会場だったことも手伝って、丁度今回のツアーの雛形が完成した気がします。

私は今ツアーでSCSのとき以来、ライブ会場内で人から話しかけて貰えることが多くなりました。
おそらく以前は法被鉢巻尻尾リスバンと糞暑苦しい服装で威嚇していたからでしょう、知り合い以外に声をかけられる事は無かったですが、SCSの時は法被を着てても若かったからか装備スタイルに共感がある人が多かったのか、わりと隣の席の人と会話する事が多かったです。
翻って今回はTシャツにペンライトと軽装で挙句アウェー感を感じているせいもあってか、3公演とも初めてゆかりさんのライブに参加する人と話す機会がありました。
きっと彼らにはグラチュで何でこいつ飛び続けてんだ?とか思われたかもしれませんが、そーゆー事(ゆかりさんに対する謎の忠誠の示し方)が普通によくある現場なのだからと思ってくれたらその寛容さこそがゆかり王国でしか生まれ得ない楽しみの源泉であると思います。
それに気分次第で、自分から見たら変な奴のノリに乗っかるのも今ツアーを楽しむのには何か意味がある気がします。

その、はたから見たら珍妙だけども超楽しそうな空気感が、周りにゆかりさんの事しか頭にない、「あいつらはゆかり王国民だから」と言わしめている理由なのではないでしょーか。

Be Happy!!

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