日記

ブログといいつつ日記書いたことねぇやと思ったのでちょっと書いてみます。
30歳以上の人は読まないように。

僕はときメモ2にどハマりしてゆかりさんのファンになったんですが、
当時僕の家はまだADSLで文化放送が届くような田舎でもなく、
声優オタク文化も知らなかったのでゲームのCVにゆかりんがあったら買う程度のファンでした。
(当時の田舎は600km彼方の文化放送を聴くために田んぼのど真ん中に高い棒挿して
ぐるぐる巻きの自作アンテナで夜に電離層のE層反射を利用すればギリギリ聞こえるっていう
僕の中では都市伝説に近いけど,そんな話がちょいちょいあった。)

雨のパンセでサイリュウムを消してとアナウンスがあったことや、
曲やライブへの解釈を自由にどうぞというスタンスでゆかりさんはきたけれど、
このライブに至ってはある表現したいことがあり、
その表現には国語のセンター試験程度の解釈の一致があるだろうと考え、
現状僕らは何の因果で出会っているのかなと整理します。

話はエルヴィス・プレスリーに始まります。
(以下敬称略します。)

で、彼に憧れたアメリカ人がボブデュランでボブデュランに影響を受けたイギリス人がビートルズ。
ビートルズが初来日した年、ボブデュランのインスパイアをしていた吉田拓郎がアマチュア界で有名になったとされているのが1966年。
吉田拓郎と仲の良い(?)ビートルズが好きな松本隆(マクロスの星間飛行作詞者)が
1969年に日本語でロックを歌う(当時は斬新だった)”はっぴいえんど”というバンドを結成。
このとき松本五郎(雨のパンセ作詞者)は12歳前後。

1970年にビートルズが解散し、
1973年にキャンディーズがデビュー。
“春一番”でロック調の(ライブ音源に至っては完全にロック)な曲をアイドルとして初めて出して、
ゆかり王国の先祖っぽい人達による親衛隊が出来るほど人気になり、
1977年に”暑中お見舞い申し上げます”でPPPH(王国では名前被せが多いけど)の原型が出来た。
あまりにPPPHがキモすぎたので(嘘です)この曲リリース後に解散宣言をして1978年に普通の女の子に戻る。

歌謡曲メインの時代に春一番はやたらテンポがはやくて、特にバック演奏が他のアーティストよりも際立っていたっていうのはなんだかゆかりさんと男爵の関係みたいで面白い。
(http://hakasemusic.blog76.fc2.com/blog-entry-89.html)
(http://ronna1210.blog46.fc2.com/blog-entry-156.html)
(http://peachgrove.web.fc2.com/jpoprthm.htm)

当時リアル体験した人の話の中ではアイドルとファンが奴隷とご主人様でその実、
関係が逆転していたというのがおっぱいポトレハンターとしてはとても共感してしまいます。
(http://blog.livedoor.jp/shotgun69-utagokoro/archives/14817087.html)

話がおっぱいから3年戻って1975年。
荒井由実が1次ブームとなった年に”はっぴいえんど”メンバーの松任谷正隆と結婚。
1976年にピンクレディーが出るんだけどゆかり王国にはあまり関係がないので
1980年にジャンプします。
この年に松田聖子がデビューし2年後、
松本隆が彼女のプロデュースを始めると同時に髪を聖子ちゃんカットにして
ピンクレディーのシングルチャート記録を破ったのが1984年。

1979年にデビューしたチャゲ&飛鳥が1981年に熱風(アルバム)をリリースしてここで松井五郎がデビュー。
その後1984に至って松井五郎は安全地帯で活躍し聖子ちゃんは上記の通り。
吉田拓郎の影響で音楽を始めてもうエポック・メイキング的な曲を作る辺り天才なんだろうなと。
(http://www.jasrac.or.jp/sakka/vol_6/matsui_in1.html)

翌年1985年はおニャン子クラブが結成されてみっしーが完全にキモヲタになっている筈で、一方聖子ちゃんは郷ひろみと破局。
僕の中では聖子ちゃんがアイドルというよりは聖子ちゃん(?)という印象なのは松本隆の計画(http://www5a.biglobe.ne.jp/~yoion/henmi/yumin.htm)で、
実行犯の一人は松任谷由実で挙句僕が日本語を理解した時には聖子ちゃんはワイドショーで会見する人というTV環境だった。
この辺は多分ゆかりさんの思ってる聖子ちゃん像と違うんだろうなぁと。

ここで漸くおニャン子にハマっていたみっしーと、
そして1988年にデビューした光GENJIや聖子ちゃんにハマっていたゆかりさんと、
80年半ばに生まれた僕や(SphereメンバーやGA隊のメンツもこの辺りの生まれが多い)、更に山崎寛子(雨のパンセ作曲:キタエリでデビュー)がやっと揃いました。
(光GENJIは松本隆・松井五郎2人とも曲を提供している。)

その後DMCまで飛んで、昭和曲カバー祭りでこの時代を懐かしみ”螺旋の果実”でナタリーに松井五郎ゾーンと言われるぐらいゆかりさんと関わりが大きくなりました。
(http://natalie.mu/music/pp/tamurayukari02/page/2)
(今こそ田村ゆかりプリアラ伝説)

最近のライブでは以前よりも詩の意味を考えるようになってそもそも詩とはなんだろうと思った時に
詩の原理
なる何故国語の先生はこの本を教えてくれなかったんだと八つ当たりしたくなるような本を昨日読んで、
歌や詩は強烈に伝えたい何かが背後にはあってそれをライブに行って情象されたものを肌で感じて感動してるんだなと改めて思います。
国語の先生がはぐらかす「国語の正解は1つじゃないからねー」的なノリで読解力が幼稚なままおっさんになってしまったのを後悔…

ゆかりさんがゴッコの範囲で楽しんでたのに、
僕らは昭和アイドル的なキャンディーズ親衛隊由来の王国民ゴッコが行き過ぎてるときがあって、
ゆかりさんの指示無しでは座る事も叶わず(前が立ってると見えない…)
「王国民としてどうしたら?」なんてゆかりさんに直接聞いてこういう質問やめてとラジオで発言させてしまったり、なんだか全体主義っぽく見えてしまう瞬間が今まで以上にライブで何か表現しようとした時にゆかりさんの中で何か違和感が出るのかもしれません。
何しろ脱サラ的に声優目指した根っからのロックな人と昭和のアメリカ的自由主義を愛してる(影響受けた)メンバーがライブを構成してますもの。

松井さん作詞のgratitudeでズッ飛びしながらゆかりさんと一緒に泣いて
雨のパンセでリウムを消して”ひとりで覚めたらさみしさは消えますか”の意味を
いい年こいたおっさんがぼーっと物思いに耽るには最高の地方ツアーでした。

以下僕より酷く拗らせてそうな人たちの考察を。

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